« 本土最西端まで自転車150キロの旅 | トップページ | 先達の知恵でぐっすり眠ろう »

2011年8月10日 (水)

出てきたものは産まねばならぬ

私は、建築に関して何かを考えなくてはならない又は、つくらねばならないという状況になった時から考え始めたり、模型を製作しているわけではない。
少なくとも私の場合は、生活の流れの中でいつも建築のことを考えているように思う(デザイナーの皆川明氏は、このことを「絶えず釣り糸をたれた状態」と表現されていた)。
そして、コレおもしろいかもと思ったら迷わずステディ模型をつくったり、紙にスケッチと文字をかき散らして、頭の中のただ漠然としたイメージを整理し置き換えるようにしている。

そうやってつくった模型やかき散らした紙は、仕事机の隅の方に置いておく。
絶えず目の片隅に入ってくる模型やスケッチ達は、合間合間で微修正を繰り返されていく。
その時々の考えや気持ちの変化で付け加えたり削ったりすることもあるし、今まで何かしっくりこなかったものに対してこうしたらどうかなと手直ししたりもする。

直接的動機や何か具体的な注文が入ってつくったものではないため、それそのものが、直接実際の建築につながっているのかと問われると否と答えざるを得ない。
しかし、自信をもって言えるのは、これらのものが私の考えや感じ方を反映しているのは確かだということである。
そういう意味では、建築に対する自分のスタンスや考えを自分の中で深めたり磨きこんだりしているのかもしれない。
私のもっとも純粋で正直なものづくりに対しての意志が、生のままで机上にごろんと転がっていると言える。

それらに私以外の人の目に触れる機会はない。
ボードが熱で反ったり表面が黄色く焼けたりして、手にとられる頻度も減っていき、いずれは私の視覚に入らなくなり記憶からも消え去ってゆくのである。
だからと言って、それら消え去ったもの達が存在していなかった時点に返るのかというとそうではない。
それらがつくられ、修正を繰り返しながら練られたコンセプトや考え方は、私の建築の思考の土台となり永遠に消えることのない痕跡を私の身体に刻みこんでいるからだ。
存在することの重みとはそういうことだと思う。

■つくっては壊すを繰り返す作業台

| |

« 本土最西端まで自転車150キロの旅 | トップページ | 先達の知恵でぐっすり眠ろう »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 出てきたものは産まねばならぬ:

« 本土最西端まで自転車150キロの旅 | トップページ | 先達の知恵でぐっすり眠ろう »