« ネジ固すぎでしょ | トップページ | 鳥栖から大村湾一周 往復300キロライド »

2021年2月25日 (木)

西日本シティ銀行本店と学生時代

僕の大学時代(20年ほど前ですが)、もうすでに安藤忠雄さんは確固たる名声を築き日本のみならず世界で活躍していた。今に置き換えるなら飛ぶ鳥を落とす勢いの隈研吾さんと言った感じだろうか。学生に限らず一部の教授までが安藤語録の「ゲリラ的に」というフレーズを繰り返し口にしていた記憶がある。僕は天邪鬼のきらいがあるので、大学入って皆が髪を染めだしたりタバコを吸いだしたり髭をたくわえたりしだすと、なんかカッコ悪いからあの流れには乗りたくないなと思っていた。だから周りが安藤忠雄派になっていくのを見て、皆が安藤なら僕は磯崎と考えるようになったのも自然だった気がする。磯崎新さんはどちらかと言うと僕らより上の世代に人気の建築家で、僕ら世代ではあまり流行っていなかった。また、安藤さんと同じく「世界的!」だし、大分出身で九州に代表作が数多く建っているので手軽に実作に触れられ、その点中央の建築学生に対し地の利があるということが磯崎を選択した理由と言えば言えるか。
余暇を持て余していた学生時代は、毎日と言っていいほどよく街を散策していた。磯崎さんの難解な(建築畑では磯崎新の理論武装と言われるぐらい)本を買って読んでは、その言葉と実作を重ねることを繰り返していた。断絶、転写、反転、切断、梱包、ルドゥの柱などなど磯崎語録てんこ盛りのシティ銀行本店、色鮮やかな内部空間が目に焼きついているシティ銀行大分支店、あの薄暗いヴォールト天井が連続してのびる空間に、マリリンモンローのヌードを象った曲線(磯崎語録ではモンローカーブ)が取ってつけたようにあらわれる北九州市立中央図書館、アルミダイキャストの2本の四角柱が、山に突き刺さるように浮かぶ北九州市立美術館、正面入り口アルコーブには、偽の扉が並び配されていた冗談のような建築 秀巧社ビル…。
西日本シティ銀行本店の取り壊しが決まり、見納めに行かねばとの思いで去年の9月久しぶりに訪れた。低層部にはすでに足場が組まれていたが、まだ建物全体を見ることができた。西日本シティ銀行本店(僕の学生時代は福岡シティ銀行、建築時は福岡相互銀行)は1971年に第一期が竣工、1983年に第二期の増築がなされている。増築部には磯崎さんらしい表現で、赤い外壁にベージュの帯が入れられているので一目で分かる。駅前広場からの眺めは鮮やかな色のインド砂岩をまとった壁(磯崎語録ではシティウォール)がドーンとそびえたち、どことなくアジア的なにおいがした。
Img_4116a
日本のどこに行っても同じような駅前空間が広がる中で、九州の玄関口 博多駅を出て眼前に現れる独特の壁は、九州の建築学生としてどことなく誇らしかった。そして、こんなに自由で(今では潤沢な建築資金があってこその話と分かるが)まるでアートのような個人的表現をしてもいいんだと夢をふくらませた。
Img_4117a
あれから何十年!ときみまろのセリフではないが、建築実務を通して違う見方も少しずつできるようになった。水を吸いやすく外壁に使用するにはデメリットも多い砂岩(しかも汚れやすい割肌。特に日当たりの悪い壁に生えた黒カビを、足場を立てて洗浄しているところを何度か目にした)と目立たないように奥に追いやられて水切の役目を果たしていない笠木、これでもかと出入りの多い凸凹の外観、本当に機能的に成立していたのかと思ってしまうピストルのようなかたちの設備スペース、大通りに面して開口の少ない閉鎖的な表情と、それに伴い生じていたであろうオフィス環境の弊害、白大理石を板目で使用したマッシブでカッコイイ正面入口は、極端に幅が狭く出入りしているお客さんを見かけたことがなかった…等々、管理している銀行側、仕事をしているスタッフの立場からは言いたいことが数多あったであろう。
だから建て直しけっこう、今までよく我慢して使いこなしてくださいました…とは素直に言えないんだな。僕の学生時代の懐かしいにおい、思い出がもうたどれなくなってしまうのかと。建築が壊されると物理的なものが失わるだけでなく、そのものについた個人的な過去のつながりも同時になくなってしまうのだから。

| |

« ネジ固すぎでしょ | トップページ | 鳥栖から大村湾一周 往復300キロライド »

文化・芸術」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

建築」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ネジ固すぎでしょ | トップページ | 鳥栖から大村湾一周 往復300キロライド »